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ビリー・ジョエルといえば、
全世界で1億枚以上のレコード・セールスを記録した天才的なアーティストです。
音楽について詳しくない人でも名前ぐらいは知っているという人も多いでしょう。
しかし、そういった華やかさに反して実に波乱万丈な来歴を歩んできたそうです。
ビリー・ジョエルの若手時代の来歴

ビリー・ジョエルは若手時代、
ミュージシャンとしてはアッティラというユニットを結成しアルバムも出していましたが、
鳴かず飛ばずのまま解散する羽目となってしまいます。
その上当時うつ病にも悩まされており精神病院に入院したことまでありました。
後に自身の才能を見いだされソロデビューを果たし、
アルバムを発表することができましたが、
契約したレコード会社の勝手な判断により全くの別人のような声に処理されてしまい、
その上ヒット作にもなりませんでした。
その後人間不信に陥りまたもやうつ病になり、自宅に引きこもりがちになりました。
このように、若手時代の来歴は苦悩の連続でした。
ビリー・ジョエルの最初の成功
ビリー・ジョエルは、
5枚目のアルバム「ストレンジャー」でようやく成功を収め一躍スターとなりました。
日本でも有名なこのアルバムは、全米2位まで上昇する大ヒットを記録し、
ダイヤモンドディスクに認定されました。

この「ストレンジャー」は
1970年代の日本におけるディスコブームにも大きく貢献し好んで踊られました。
彼の長きに渡るキャリアの中で最大のヒット曲となっている
「素顔のままで」が収録されていたのもこのアルバムでした。
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"スーパースター、ビリー・ジョエルの災難"
"スーパースター、ビリー・ジョエルの災難"
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