ブラックミュージックを身に付けた白人歌手、エルヴィス・プレスリー
テネシー州メンフィスという黒人労働者が多い街で育ったエルヴィス・プレスリーは、自然と黒人音楽の中で育ち、それを自らの中に取り込んでいきました。エルヴィスの血となり肉となった黒人音楽はやがて彼が作る楽曲にも濃厚に姿を現しました。デビュー当初のエルヴィスは「黒人のように歌える白人」と言われたのです。
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ゴスペルミュージックが大好きなシャイな少年時代
1935年生まれのエルヴィス・プレスリーは、テネシー州メンフィスの小さな家で育ちました。周囲は貧しい黒人労働者が多く、幼年時代のエルヴィスの音楽環境もブラックミュージックが大いに影響を与え、ゴスペルショーには毎回欠かさず鑑賞に出かけていました。幼いころのこの音楽体験がのちの彼の楽曲に影響を与えたことは想像に難くありません。
高校卒業後の彼は、トラック運転手として働きながら曲作りを行っていました。しかし、性格的には意外にもシャイなところがあり、怖くてレコード会社の門をたたけなかったと後に語っています。
黒人のようにシャウトし、白人社会に衝撃を与えた初期
1955年にRCAと契約したエルヴィス・プレスリーは、たて続けにヒットを飛ばします。
「ハートブレイクホテル」、「監獄ロック」、「ハウンドドッグ」、「冷たくしないで」など、現在でもスタンダードとして愛されています。当時は、アメリカの人種差別がまだまだ根強い時代で、白人専用のテレビやラジオでは、黒人の歌を流すことはなく、白人が代わりに歌っていました。そんな時代に黒人ばりのシャウトで歌う白人歌手のエルヴィスは、当時の白人社会に衝撃を与えました。
軍歴がその後のエルヴィスを変えた?
エルヴィス・プレスリーがもっともすごかったのは1955年から58年までの3年間だったといわれています。
1958年には徴兵制により軍隊に入り、西ドイツ(当時)にあるアメリカ陸軍基地に配属となりました。歌手として一世を風靡していたエルヴィスは配属先でも話題になりましたが、彼はスターということをまったく表に出さない真面目な勤務ぶりで、軍歴中は一度もギターを手に取りませんでした。軍隊にいたときに習った空手では黒帯を取得し、最終的な階級は軍曹でした。
除隊後のエルヴィスは輝きを残せなかった
除隊後の彼は、芸能活動を再開するも、最初の3年間のような輝きを失っていました。楽曲もブルースよりもクリスチャン・ミュージックが増え、ビートルズ旋風が巻き起こる中、人気を落としていくのです。とは言え、今もなお多くの人の記憶に残るエルヴィスは、アメリカの誇るスターの1人であることは間違いありません。