代表曲で世に知らしめた美声の主!米良美一の魅力は、彼の人生にあった!
代表曲となった宮崎駿の大ヒット映画の主題歌により、多くの人たちに感動と驚きを与えた美声の持ち主、米良美一のプロフィールとともに、彼に襲い掛かった病と奇蹟の復帰、そして、彼の美声の秘密ともいえる紆余曲折の人生をご紹介します。
あの美声を作り出した米良美一の半生とは
デビューシングルにして代表曲となった映画の主題歌により、一世を風靡した米良美一は、その人気により一躍国民的歌手となりましたが、彼は、日本のみならず、世界的にも高い評価を受けているカウンターテナー歌手です。
1971年に宮崎県西都市に生まれた米良美一は、生まれつき、2万人に1人ともいわれている先天性の骨形成不全症という難病を患っていました。この病気の症状の一つでもある成長障害により体が小さかった米良美一は、子供の頃にいじめを受けたていたこともありました。
地元の小学校から入学拒否をされた7歳からは養護学校の寄宿舎生活を送りますが、当時から歌が好きで、さまざまなジャンルの音楽に触れていたと言います。
高校に入ると、裏声の基礎作りともなった松田聖子の歌真似をして過ごしたものの、将来はクラシック歌手になりたいと思うようになります。そして、その夢への第一歩として、周囲の助けもあり、大学は東京の音楽大学へ入学します。
大学在学中に、自らの高い声により、裏声で女性のような高音域を歌えることに気付き、カウンターテナーとしての道を目指すことを心に決め、現在の美声が多くの人に知られることとなりました。
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壮絶な人生に見る努力の人、米良美一のデビュー、そして、病に倒れるまで。
米良美一は、子供時代について、その後、世を恨んだこともあると公言していますが、そのさまざまな苦労と、見返してやるという気持ちの強さ、それに負けずに頑張ってきた彼の努力が、あの美しい歌声を作り出したとも言われています。
1994年に大学を首席で卒業すると、その年、早くも古楽のコンクールで最高賞を受賞します。翌年、歌曲のコンクールで入賞を果たし、オランダの政府給費留学生としてアムステルダムの音楽院に留学した1996年には、アルバムを出し、ベストセラーとなります。
また、このアルバムは、あのヒット映画の主題歌を歌うきっかけとなりました。ラジオで聴き、感銘を受けた宮崎駿監督により、主題歌歌手として起用されると瞬く間に、お茶の間の人気を集め、広く名が知られることとなります。
さらに、ヨーロッパや国内で披露した美声は各地で高い評価を受け、演劇、CM出演など活躍の幅を広げていきます。また、代表曲の一つとなった映画主題歌は、ゴールドディスク大賞やアカデミー賞協会特別賞の主題歌賞を受賞します。
しかし、この頃から、強いプレッシャーを感じ、声が出ないという症状が出始め、大きな挫折を味わうこととなります。
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