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宝塚歌劇団花組の元トップスター、真矢ミキさんがこのたび国分太一さんとコンビ組んでテレビ番組でMCとして活躍し始めました。
「白熱ライブ ビビット」という番組で、視聴者目線でニッポンの朝にビビッとくる刺激を毎週月曜~金曜の朝8時から全国に届けるというコンセプトです。
久しぶり(?)に元気で、相変わらずの美しい姿を見せてくれているミキさんの生い立ちや、宝塚歌劇団のトップスターだった時にスポットを当ててみましょう。
■元祖・大トップスター、大地真央さんに憧れて宝塚歌劇団に入団

元宝塚歌劇団花組トップスターの真矢ミキさんは広島市西区南観音町生まれの大阪府豊中市育ちで、今は女優、司会者として活躍中です。
真矢ミキさんは幼少期を広島市で過ごして、その後は父親の転勤で各地を転々。中学校卒業まで8回も転居しましたが、中学校の三年間は大阪府豊中市で、日舞を習いたいと宝塚コドモアテネに通いました。ここで初めて宝塚との接点が生まれます。
大女優で元宝塚歌劇団の大トップスター、大地真央さん(月組)に憧れて、豊中市立第二中学校を卒業後1979年に宝塚音楽学校に入学。
1981年に第67期生として宝塚歌劇団に入団しました。同期は女優の黒木瞳さん、涼風真世さんや毬藻えりさん、現役では雪組組長の梨花ますみさんなど、大女優のオンパレードです。

タカラジェンヌとしては、初舞台当初から大きな注目を集め、歴代の花組トップスターに引けをとらない個性派スターとして多くのヅカフアンを獲得。1992年~1995年は、2番手でしたが、トップと同等の扱いで大活躍。安寿ミラさんとの男役同士のコンビが話題になり、ついに1995年の「エデンの東」で花組トップスターの地位につきました。
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"■ヅカの革命児と言われた型破りの活躍と、どん底を経験した時代"
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