MLBシアトル・マリナーズ所属、日本が誇る名ピッチャー「岩隈久志」のこれまでの活躍とこれからの挑戦
2012年アメリカMLB、アメリカンリーグ西地区所属シアトル・マリナーズと契約を結んだ岩隈久志投手は東北楽天ゴールデンイーグルス所属時代に数々の賞を受賞しています。メジャーリーグへの挑戦には更なる高みを目指す為なのかどうか探ります。
岩隈久志投手の生い立ち
岩隈久志投手は1981年4月12日東京都に生まれました。小学一年生から野球をはじめ、西武ライオンズファンでした。1997年体育コースがある堀越高校に進学し3年生の時に西東京大会ベスト4になります。1999年ドラフト会議で大阪近鉄バッファローズから5位指名を受けてプロ野球界入りを果たします。
大阪近鉄バッファローズ所属は2000~2004年、その後は東北楽天ゴールデンイーグルスに2005~2011年所属し、海外FA権を行使し2012年シアトル・マリナーズと年俸150万ドルと出来高で契約をします。
[adsense num=1]
日本での岩隈久志投手
191センチ右投げ、プロ入り後一軍での登板はありません。2001年にプロ初勝利をあげ後半に活躍し球団の優勝に貢献しました。2002年に日米野球代表に選出されるも敗戦投手となってしまいますが、2003年に15勝10敗し最多完投と最多無四球を記録します。
2004年には球団新記録の12連勝を達成しタイトルを獲得、アテネオリンピックでも代表選出、オールスターゲームのファン投票では先発部門トップになるなど順風満帆です。
2005年東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍後は肩の故障もありその後しばらくは怪我と付き合う事になりますが、2008年に勝ち星を積み上げ21勝になり最多勝を獲得、表彰では沢村賞、最優秀防御率など賞を受賞しました。
2009年からは選手会長に就任しシアトル・マリナーズへ移籍するまでに通算1000奪三振達成、通算100勝達成の記録を残します。
[next_heading title=マリナーズでの岩隈久志投手]