任天堂は元々あのおもちゃの店だった?~人気ゲーム製造工場の意外な歴史~
任天堂がファミリーコンピュータやWiiUなどの家庭用人気ゲーム機のハード、及びマリオシリーズをはじめとしたソフトの開発における日本を代表する企業であることは、多くの方がご存じだと思います。
しかしこの企業のルーツとなるお店が明治時代に開かれ、その店が当時から家庭用ゲームの製作に携わっていたということはご存知でしょうか?
元々任天堂はあの人気ゲームを作る店だった
家庭用ゲームと言っても、もちろんテレビゲームを明治時代から作っていたわけではありません。
任天堂のルーツを作り上げた人は、かつて日本人にはスーパーマリオと同じくらいなじみのあったあのゲームの製作に携わっていたのです。
任天堂の事業のルーツは、明治時代の京都の人物である山内房治郎という実業家が開いたお店にあります。
1889年に開いたその店で彼は「任天堂骨牌」という名の商店を開きました。そこで彼は工芸家としての腕を活用して製作した花札を売り出したのです。この事業はたちまち成功し、戦前までにこの店は日本を代表する花札商店となっていました。
なぜ任天堂はテレビゲームを作り始めたの?
戦後山内房治郎の曾孫にあたる山内博氏が、株式会社任天堂を立ち上げました。これ以降の企業としての任天堂は、花札のみならず、ルーレット、野球盤、ボードゲームといった、花札のように家庭で複数人で楽しめるおもちゃの製作にかかわっていきます。
この企業がテレビゲーム事業にかかわるきっかけを作ったのは、かの三菱電機です。1977年に三菱電機が人気ゲームを作ろうという企画を持ちかけたのがきっかけで、この会社からあるゲームが発売されます。
それはファミリーコンピュータのようなテレビに接続して遊ぶタイプのゲーム機でした。
この当時はまだソフトを後から接続して遊ぶタイプではなく、遊べるゲームの種類も限られていましたが、これが発売されたことがきっかけで、任天堂は本格的に電子ゲーム機器への参入を始めるのです。
超人気ゲームハード「ファミリーコンピュータ」が製作された理由とは?
家庭用ゲームに限らずゲーム&ウォッチのような携帯ゲーム機などあらゆる種類のコンピューターゲーム開発に参入し始めた時期の任天堂は、1981年にアーケードゲームの「ドンキーコング」をヒットさせています。
このゲームを家庭で遊べるような、高い性能を持ったテレビゲームを造ろう、というコンセプトの下で開発されたのが、現代のWiiUのご先祖様に当たる存在、ファミリーコンピュータだったのです。
このハードウェアの発売から数年は、主に「ドンキーコング」のようなアーケードゲームからの移植作品であるソフトが発売していたのですが、1985年になると「スーパーマリオブラザーズ」が発売し、大ブームを巻き起こします。
それ以降、任天堂は現在まで、テレビゲーム業界のトップを担う存在としての活躍を続けているのです。
現在はテレビゲームを造る企業である任天堂には、120年以上にわたる歴史があり、その中で任天堂、あるいは任天堂のルーツとなるお店にかかわった人々は、花札、ボードゲーム、そして家庭用ゲームとその時代に沿った人気ゲームを開発してきました。
この企業の歴史は、そのまま日本のゲームの歴史でもあるのです。
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