終わらない伝説、尾崎豊がすごい!死後も聞かれ続ける彼の生き様とは・・・
尾崎豊が亡くなってからすでに約20数年が経ちましたが、亡くなってからもなおファンを増やし続けている。今日はそんな伝説的な歌手・尾崎豊の生き様と、その魅力について追っていきましょう。
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生まれてからデビューするまでの尾崎豊
1965年11月29日、2人兄弟の次男として誕生した尾崎豊。東京都練馬区の保育園から小学校に入学しましたが、小学5年生の2学期より埼玉県朝霧市内の公立小学校に転校します。
しかしここで転校生という理由でいじめを受けるようになり、一時は不登校にもなりましたが、その後ギターを弾くようになり、それがきっかけでいじめは解消されました。
中学校では喫煙で停学処分を受けたものの青山学院高等部に入学。しかし喫煙やオートバイの事故、飲酒等で無期限停学処分となり後に自主退学しています。
若者のカリスマ、尾崎豊が生み出した名言
尾崎豊と言えば数々の名言や格言を残していることでも有名です。
『人生なんて毎日少しずつ自分の心の財産を支払いながら生きていくようなもんだって』や『俺は少なくとも自分自身の真実をつかむために1日1日を生きていたい』等、一度は聞いたことのある言葉があると思います。
それらの言葉や歌詞は10代の代弁者として一世を風靡し、マスメディアからは10代の教祖や若者のカリスマ等とも呼ばれていましたが、本人は名前が売れるよりも歌詞を聞いてほしいと、その呼び方を嫌っていました。
尾崎豊の最期、伝説は終わらない
さて一世を風靡した尾崎豊でしたが、1992年4月25日に突然亡くなってしまいます。
早朝民家の軒先で全裸に傷だらけという姿で倒れていたところを住人に発見され病院に運び込まれましたが、その日の午後に亡くなりました。最期の言葉は‘僕、本当に勝てるかな’だったようです。
死因は肺水腫とされていますが不可解な点もあり、他殺説も唱えてる人もいます。
しかし彼の死後もファンは増え続けており、今でもなお衰えない魅力が彼の歌にはあるようです。
いじめられっこから若者のカリスマへ!
小学校時代いじめられていたけれど、ギターを弾くことによっていじめを自力で解消し、それは後の彼の人生に深い影響を与えました。
彼の死後も彼の歌は愛され、多くの人に聞かれ続けるのでしょう。