多くの曲を手がけた音楽プロデューサー小室哲哉、秋元康、つんく♂の偉大なる功績を振り返ってみる
現代のJ-POPを作り上げたプロデューサー小室哲哉、秋元康、つんくはアイドルや歌手を多く生み出し、数々のヒット曲を手がけています。御三家ともいわれる3人のプロデューサーについて紹介します。
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数々のヒット曲を生み出した小室哲哉
小室哲哉はシンセサイザーを数台並べて演奏することで有名で、自身のバンドTM NETWORKを始めとして数々のヒット曲を生み出しています。
TM NETWORKでは「Get Wild」が初のオリコン入りを達成しており、以後、渡辺美里や安室奈美恵、華原朋美他多数のアーティストの作曲を手がけています。
1995年からは安室奈美恵の「Body Feels EXIT」から2001年の「think of me」までプロデュースしており、華原朋美では1995年から1998年までの間「keep yourself alive」「I BELIEVE」「I’m proud」などのヒット曲があります。
弟子には西川貴教のT.M.Revolutionをプロデュースしている浅倉大介がいます。
作詞は4000曲を超える秋元康
AKBのプロデューサーとして知られる秋元康は作詞家や放送作家として多くの作品を手がけています。意外と知られてないのが、美空ひばりの「川の流れのように」です。この曲も秋元康が作詞しており往年のベストセラーになっています。
2005年にAKBをプロデュースする前は、稲垣潤一、長渕剛、おニャン子クラブ、とんねるず、小泉今日子などのヒット曲を手がけています。
これまでに作詞を手がけた曲は4000曲以上にもなり、数々のヒット曲を連発しています。
アイドルグループの元祖プロデューサーはつんく
つんくは作曲家でもあり作詞も手がけています。1988年にシャ乱Qを結成しボーカルを努めています。
1992年にはメジャーデビューをし、1995年に有線放送で話題になったヒット曲「ズルい女」がミリオンセラーになり一躍有名になっています。
その後1997年にモーニング娘。のプロデューサーとして活躍し、1998年のオーディション番組「ASAYAN」から「Hello!」が生まれ、後に改名された「ハロープロジェクト」を総合プロデュースしています。
ゲームでは2006年、2008年、2011年にリズムをモチーフにしたソフトのプロデュースも行っています。
現代のアイドル文化はプロデューサーの力が大きい!
プロデューサー御三家ともいっていい小室哲哉、秋元康、つんくがいなかったらアイドル文化はここまで大きくならなかっただろうと思います。多数の歌手、アイドルグループを生み出したプロデューサーの力は偉大ですね!