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サッカー女子日本代表を世界の強豪チームにした澤穂希のサッカー人生を振り返ろう

2010年以降にいくつもの世界大会で優勝したことでマスコミにも大きく取り上げられるようになった女子サッカー日本代表「なでしこジャパン」ですが、その立役者と言えばエースナンバー10を背負い、数々の試合でチームを勝利に導いた「澤穂希」です。
澤穂希 <出典:citydiver.net>
欧米選手に比べて体格で劣る日本人が、スピードやパスワークを武器に世界を席巻。今なお世界屈指の実力を持つチームの礎を築いた人物と言っても過言ではありません。

 

今回は「なでしこジャパン」と共に大きな飛躍を遂げた彼女のサッカー人生を振り返りたいと思います。

 

◆とにかくサッカーが好きだった少女時代

小学2年生のときに地元のクラブに入団を希望しますが、当時は男の子だけのクラブだったため入団を断られたそう。しかし、母の粘り強い説得で何とか仮入団させてもらえることに。

 

澤穂希は当時を振り返って「たまたま蹴ったボールがボールに入ったのが嬉しくて。すぐにサッカーをやりたい!」と思ったそうです。

 

その後は、地元のクラブの大会に出場して女の子ながらもゴールを決めたことや真剣に練習する態度がきっかけで正式に入団が決まったそうです。サッカークラブで練習する日々ですが、周りの選手はみんな年上の男子ばかり。

 

この経験が世界の外国人選手とも互角に勝負できるスキルの下地となったのでしょう。

 

中学に入学すると、当時の日本代表が多く所属する「読売サッカークラブ女子・ベレーザ」の下部組織に入団しますが、当時の監督だった竹本氏はすぐに澤穂希の才能を見抜いて、トップチームのベレーザに昇格させます。
澤穂希 <出典:life-time-value.com>
その後はトップチームで練習と試合の毎日を過ごすことに。当時のスケジュールは練習は週5回、土日には必ず試合があったそうで、サッカー漬けの毎日です。

 

◆15歳で日本代表デビュー!

所属クラブでの活躍が評価され、15歳にして日本代表に選ばれることになります。そして、初出場の代表戦では4ゴールを挙げる華々しいデビューとなりました。

 

その年には活躍が評価されて当時のなでしこリーグで全チームの中から11人だけが選ばれるベストイレブン賞を獲得。その後もベストイレブンの常連となります。

 

1999年には所属チームで活躍しながら通っていた帝京大学を中退して、単身アメリカのチームに移籍します。当時はアメリカリーグに移籍する選手の例はなく、日本ではチームの中心選手になっていたことや、大学中退とさまざまなものを捨て去ってまでサッカーの本場に身を投じるのは相当の覚悟が必要だったと思います。

 

アメリカでは自分より体格の勝る選手にいかに技術で勝つかを模索する日々でした。アメリカリーグでも順調に活躍していたのですが、2003年9月にアメリカ女子リーグが休止することになり、あえなく帰国することになります。

 

◆2011年女子ワールドカップ優勝!

アメリカから帰国後には古巣のベレーザに再入団して、アメリカ仕込のプレーでチームを何度もリーグ戦優勝に導きます。その活躍が評価されリーグMVPに2006年、2008年と2度にわたり選ばれることに。

 

2009年からはチームの経営難などの理由からアメリカと日本のチームを転々とするのですが、2011年からは選手として骨を埋めることになるINAC神戸レオネッサに移籍が決定します。
INAC神戸レオネッサ <出典:plaza.rakuten.co.jp>
彼女は当時を振り返って「試合に専念出来るINACに来てから凄くコンディションがいい。」と語っていました。

 

そしてキャプテンとして出場した2011年のFIFA女子ワールドカップが始まります。それまで日本女子代表はワールドカップには出場できても、過去5回の出場では決勝トーナメントのチームを選ぶための予選リーグを突破できていません。

 

しかし、澤穂希の予選リーグのメキシコ戦でのハットトリックの活躍もあり、初めて決勝トーナメント出場を果たすことに。

そして、なでしこジャパンは予選の勢いのまま快進撃を続け、澤穂希による準々決勝での決勝点のアシスト、準決勝での試合を決めるゴール、決勝アメリカ戦では延長戦後半で1点負けている場面での同点ゴールを決めて、制限時間内に勝負が付かなかった場合だけ行われるPK戦の末、見事に世界ナンバー1の実力のアメリカを破ります。

 

これはアジアのチームとしては史上初となる快挙でした。彼女自身も5ゴール1アシストと大活躍で、アジア人初の得点王とMVPの2タイトルを獲得しました。そして、その年の世界のサッカー選手でベストプレイヤーを選ぶFIFA最優秀選手賞も獲得することになりました。

こちらもアジア人初の受賞です。

 

◆病にも打ち勝ち活躍を続ける

2012年3月に出場していた国際大会で体調不良を訴え、帰国後に検査を受けると激しい運動を行うとめまいが出る「良性発作性頭位めまい症」と診断されてしまいます。その後は1ヶ月程度で症状を完治させて実戦復帰。
澤穂希 <出典:laughy.jp>
2012年8月のロンドンオリンピックでは、チームに貢献して日本女子代表史上初めての銀メダルを獲得します。その後も日本女子サッカー界を牽引して、2015年12月に37歳で現役選手の幕を下ろしました。

 

多くの日本初・アジア人初の記録を塗り替えた澤穂希ですが、現役引退後にもさまざまな形でサッカーに関わってくれるでしょう。これからも「澤穂希」にご期待ください!

 

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