あの人も最初は辛かった・・・お笑い芸人の下積みエピソードを紹介!

トレタメ

テレビのバラエティなどで獅子奮迅の活躍をしている大人気お笑い芸人の中には、下積み時代に苦しい思いをした人も少なくありません。

今回はそんな貧乏時代を経験したお笑い芸人のエピソードをいくつか紹介します。
アルバイト等をして生計を立てていた時代、どんな苦しみがあったのでしょうか?

下積み時代に意外なアルバイト!?をしていた芸人の紹介

まず最初に紹介するのは、お笑いコンビ「次長課長」の河本準一です。
河本準一

独特なキャラ設定で展開されるコントを武器に、バラエティ番組でも軽快なトークを展開する彼ですが、売れない時代に行っていたアルバイトが、何とホストでした。

河本は1994年に相方の井上聡と「次長課長」を結成。
次長課長

しかし最初の頃は全く売れず、住んでいた家も3ヶ月で追い出されるくらいお金に困っていました。そして19歳の時にホストに挑戦します。彼が得意としているタンバリンを使った芸は、この頃に磨きをかけていました。

No.3になるまでに成長しましたが、実はその店のホストが4人しかいなかったというオチをつけ、周りを笑わせています。

すさまじい生活をしていた芸人の紹介。耐えたからこそ今がある!

次に紹介するのは「サンドウィッチマン」です。
サンドウィッチマン

軽快なボケとツッコミの漫才、コントを武器としている彼らは、芸人日本一を決める「M-1グランプリ」で2007年に見事優勝を果たし、一気に知名度を広げましたが、無名時代はひどい生活を送っていました。

高校時代の部活で知り合って以来の友人である彼らは1998年に地元の宮城県から上京し、東京でサンドウィッチマンを結成。売れない時代が長く続いていた間、2人は2間のオンボロアパートで肩を寄せ合い暮らしていました。

天井にはクモの巣があり、ゴキブリが出る事も日常茶飯事。時にはネズミが走り回る事もありました。ある日、ご飯を作ろうと米びつを除いたところ、米と共に何か黒いものが。「五穀米が混ざっているのかな?」と思って研いでみたところ、その黒いものがとけて水が黒ずんでいきます。

何とそれは「ネズミのフン」でした。そんな貧乏時代の苦労があったからこそ、サンドウィッチマンを今の地位にまで押し上げたと言えるでしょう。

あの大御所も下積み時代はきつかった!

最後に紹介するのは、芸歴約50年。今や大御所お笑い芸人とも称される「志村けん」です。
志村けん

1968年にドリフターズの付き人になりますが、リーダーであったいかりや長介の家に直接おもむき、雪の降る中12時間も帰宅を待ってようやく許可された、というエピソードがあります。

その間、辛すぎて脱走し、バーテンダーのアルバイトとして生計を立てていた時代もありましたが、出戻りを果たした後は本格的にお笑いの道に進みます。

売れない時代は当然貧乏であり、他のメンバーが楽屋でラーメンを注文する中一人ライスを注文し、メンバーが残したスープの中に入れて食べたりしていました。

そして「8時だヨ!全員集合」のワンコーナーでブレークを果たすと一気にスターダムへと駆け上がり、自らの冠番組を持つまでに成長、今やお笑い芸人界の重鎮として、昔と変わらない質の高いお笑いを提供しているのです。

お笑いのプロである彼らの生き様を見逃すな!

芸人 下積み時代

以上紹介してきたように、今や押しも押されもせぬ人気芸人である彼らも、下積み時代には想像を絶する貧乏経験をしてきているのです。

そういった背景を知りながら彼らのお笑いをみると、また違った面、新たな魅力を見つける事ができるかもしれません。