いつかまた、5人で。彩冷えるの歩み――活動休止から復活まで――

2010年、活動を休止した彩冷える。

当時人気バンドであっただけに、活動休止に至るまでの一連の流れはジャンル内外から注目を浴びました。

あれから約8年。惜しまれながらも歩みを止めた彼らが今年、ワンマンライブを行い話題になっています。

今回はそんな彩冷えるのこれまでについてご紹介していきたいと思います。

① 涼平在籍時代

彩冷えるは涼平さん、インテツさん、タケヒトさん、元MASKの葵さんの4人で2004年に結成されました。

2005年にはドラムのケンゾさんが加入し5人体制になります。

一度目にしたら忘れられない「彩冷える」というバンド名は、当時メインコンポーザーだった涼平さんの発案。「響きのよい4文字」を追求した結果が「アヤビエ」だったそう。

それを漢字にしようという話になった際、やはり4文字にしたかったことから口に出しては読まない「る」を付け加え、「彩冷える」となったそうです。

初期は彩冷える表記でしたが、始動の翌年からカタカナの「アヤビエ」表記になりました。

涼平さんの作り出す難解で幻想的な楽曲と葵さんの繊細な歌声が生み出す独特の世界観が話題となり人気・知名度ともに急上昇します。

しかし2006年に涼平さんは脱退。
その後メガマソ(現在解散)、Migimimi sleep tightでギタリストとして活動を続けています。

涼平さんの脱退にあたり、また一からの気持ちで活動したいと表記が「彩冷える」に戻っています。

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