「アイドルではない」「歌手やモデルと言うには活動の幅が広すぎる」そんな、独自の路線を爆走する『きゃりーぱみゅぱみゅ』は、今や日本の「Kawaii文化」を象徴する存在で、世界的にも有名なアーティストに成長しました。
今回はそんなきゃりーの歌手デビューのきっかけを作った、天才プロデューサー『中田ヤスタカ』との出会いや2人の関係、デビュー当時のエピソードについてご紹介します。
◆プロデューサー中田ヤスタカってどんな人?
音楽ユニット『CAPSULE』としてのアーティスト活動を行いながら、音楽プロデューサーとして『Perfume』『きゃりーぱみゅぱみゅ』などのアーティストをプロデュース。SMAP、m-flo、鈴木亜美などに楽曲を提供しており、プロデューサー業以外にも作曲家としての才能も持ち合わせています。
また、自身が主催するクラブイベントにもDJとして参加しており、音楽シーンに関わる幅広い活動を続ける人物です。2012年には『Perfume』の「スパイス」やきゃりーの「つけまつける」が評価され、日本レコード大賞で編曲賞を受賞した。
メジャーデビュー後にリリースされたきゃりーの全ての曲の作詞・作曲を担当しており、彼女の躍進を支えた最大の立役者と言えるのではないでしょか。まさにきゃりーぱみゅぱみゅの影に中田ヤスタカあり!ですね。
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◆2人の出会いやきゃりーぱみゅぱみゅの歌手デビューのきっかけは?
高校3年生のきゃりーは『KERA』や『Zipper』などの「青文字系」と言われる、東京の原宿などで多く見かける個性的で同性受けするファッション雑誌で読者モデルとして活躍していました。
自分の進むべき進路に悩んでいた彼女は、高校の卒業も間近に迫るあるとき、中田ヤスタカが主宰していたクラブイベント『TAKENOKO!!!』にDJとして参加することになりました。イベントの出演メンバーと食事に行く機会も何度かあり、2人はお互いのことをよく知るようになります。
中田ヤスタカはきゃりーの非凡な才能を見抜き、歌手デビューするように強く勧めます。これがきっかけとなり、きゃりーはモデルから歌手へと異色の転身を遂げるのでした。
きゃりーにとっては当時彼女が愛聴していた「Purfurme」をプロデュースしていた中田ヤスタカは尊敬できる人物だったのでしょう。
当時を振り返ったきゃりーは「中田ヤスタカさんのプロデュースじゃなかったら、絶対にデビューしていなかった」と語っていて、その当時から2人の信頼関係は厚かったようですね。
[next_heading title=◆2人は曲作り以外でもよく会う関係]