黒人優位世界のヒップホップ界でなぜエミネムがヒップホップモンスターと呼ばれるのか
1972年、アメリカ生まれのエミネムは幼少時より極貧、虐めなどの苦悩の生活を送りました。死をも覚悟するほどの悪環境が皮肉にもヒップホップ界で必要とされるダークな雰囲気を造り上げ、エミネムをヒップホップモンスターへと導きました。
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人種をも超えた逸材です
黒人の世界とされていたヒップホップ界の中に飛び込んだエミネムは、白人ながらMCバトルコンテストに参加し、実力を伸ばしていきました。
1999年にリリースされたザ・スリム・シェイディLPが全世界で600万枚を超える発売数を記録し、グラミー賞にて優秀ラップアルバム受賞し、ラップ界のスターダムに登りつめました。人種を超え、日本でまだラップの認知度が低かった時代、エミネムの登場が日本でラップやヒップホップを浸透させたと言えます。
エミネムの世界観とは
デビュー前よりMCバトルに参加していたエミネムですが、ヒップホップモンスターと彼が呼ばれるまでの半生が映画化され、彼本人も出演しています。劇中に登場するバトルは本物さながらであり、逆境の中で生き、人生に大きな不満を持っている者ほど怒りや憤りをラップに込める為、迫力あるパフォーマンスが出来ると言われています。
極貧の町で生まれ育ち、虐めや差別と戦ったエミネムだからこそバトルで最高のパフォーマンスを披露することができたのです。
ラップの神さまエミネムの記録
2000年代、10年間で最もアルバムが売れたと言われ、アルバムはトータル一億枚以上が売れたとされるエミネムですが、ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人の中で見事83位を獲得しました。
また、ラップの腕に定評があるエミネムですが、その腕前は(LapGod)の曲中終盤、僅か16.45秒の中で110もの単語、157音節をラップで披露したことがファンのみならず、それまで彼を評価していなかった者までも評価せざるを得ないとまで言わしめました。
ヒップホップモンスターと呼ばれるまで、エミネムは苦悩の人生を歩みながらも、白人としてではなく、黒人の中においてもヒップホップ界をリードする逸材となりました。ヒップホップやラップを日本に広めた先駆者であり、世界中でエミネムの曲が聞かれています。