T.M.Revolutionプロデューサー浅倉大介の名曲制作の秘密とは?

2016/02/28

「T.M.Revolution」への楽曲提供やプロデューサーとして西川貴教を支える『浅倉大介』は、そのほかにもFayrayや藤井隆などをプロデュースし、数々のアーティストに楽曲を提供する日本の音楽シーンに影響力を持つ人物です。そんな彼のこれまでの歴史や軌跡を振り返り、人気楽曲が生まれる秘密についてご紹介したいと思います。

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◆生い立ちやプロデビューまで

浅倉大介

1967年生まれ東京都出身の浅倉大介は、音楽プロデューサーや楽曲提供者になるまでに異色の経歴を持ちます。まず工業高校の在学中にピアノや電子楽器で有名なYAMAHA株式会社のシンセサイザーの開発に関わっており、高校卒業後にはそのままYAMAHAに入社。シンセサイザー・ミュージックコンピュータ部門でシステム開発などを行ったそうです。本人は当時を振り返って「浜松のYAMAHA工場で一人学生服で社食にいたのは、とても浮いていた」と語っていました。

 
ちなみにシンセサイザーとは、ドラムやギターなどの様々な楽器音や効果音を合成する「機械」のことです。現代の全国コンサートを行うようなプロミュージシャンの活動には、シンセサイザーはほぼ必須だと言われています。例えば、ヴォーカル、ギター、ベースの3人組のバンドが演奏する際には、ピアノやドラムの音は事前にシンセサイザーで用意しておき、その音源に合わせてメンバーが自分のパートを演奏していると考えると分かりやすいでしょう。

 

1985年からは仕事の傍ら、ゲームミュージックを制作するようになりました。そして、1987年には作曲の才能やシンセサイザーの知識を買われ、小室哲哉が所属していた伝説のバンド「TM NETWORK」でサポートメンバーとして同バンドを支えることに。これが彼にとってのプロのアーティストとしての第一歩でした。そんな中、1991年11月にアルバム『LANDING TIMEMACHINE』でソロデビュー。1992年7月にはヴォーカルの貴水博之とユニット「access」を結成します。

 

余談ですが、日本を代表するギタリストでB’zメンバー松本孝弘もサポートメンバーとして、当時の「TM NETWORK」の全国ツアーに同行していたそうです。やはり、才能のある者のところには才能溢れるメンバーが集うということでしょう。

◆人気ユニットaccessとしての活動

access

access (アクセス)の演奏では、浅倉はキーボード、貴水がヴォーカルをそれぞれ担当しました。浅倉のシンセサイザーを駆使したきらびやかなサウンドと、貴水の女性のような美声が相まって生み出される高速デジタルビート中心の音楽性が特徴でした。ユニットの曲作りでは浅倉は作曲・編曲を担当していて、この頃から楽曲作りの才能が開花したようです。

◆人気楽曲の作り続けられる秘密は?

浅倉大介

1995年に「access」としての活動を休止させた後も、「T.M.Revolution」やその他アーティストに楽曲を提供するなど、意欲的な制作活動を続けています。

 

のちに某TV番組で「TM NETWORK」ギタリスト木根尚登によって語られるのですが、実は木根はギターをまったく弾けず、エアギターで演奏の真似だけを行っていたそうです。当時、「TM NETWORK」では演奏はサポート役や事前に録音・編集しているシンセサイザーに任せて、メンバーは観客を楽しませる派手なアクションに専念していたそうです。朝倉大介は1987年~1992年までサポートメンバーとして、新曲作りの手助けや全国ツアーに同行しており、この裏方の活動がのちの朝倉の楽曲制作の貴重な経験となりました。また、社会人時代にYAMAHAでシンセサイザーの開発に携わっていた知識・経験も、もちろん曲作りには活かされていることでしょう。

浅倉大介はYAMAHA時代のシンセサイザーの開発経験と「TM NETWORK」のサポート経験の大きな2つの柱により、ハイクオリティな楽曲を制作し続けることを可能にしたのではないでしょうか。

 

これからも浅倉大介の提供する楽曲で多くのアーティストが活動し、名曲が生まれ続けていくでしょう。これからの浅倉大介の活動にご期待ください!

 

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