【ハンサムウーマン】天海祐希さんの宝塚時代の伝説とは?
外見だけではなく、内面もハンサムウーマンとして知られる天海祐希さんは、名女優というだけではなく、宝塚出身としても有名ですよね。そんな彼女は、今では大人の女性らしい配役を演じていますが、独特の発声と凛々しさは宝塚出身ならではと言ってもいいかもしれません。おしとやかな役よりもしっかりとした印象を持つ女性役としてのドラマ・映画出演が多い彼女は、宝塚時代をどんな風に過ごしてきたのでしょうか。天海祐希さんの歴史を紐解いていきます。
宝塚音楽学校に主席で入学!?
中学生の時には演劇部に所属し、それから宝塚を目指す方向けのバレエ教室に通ってきました。レッスンを積み重ね、技術を磨いた彼女は、高校2年の修了時に宝塚音楽学校を受験。第1次試験会場には演出家の植田紳爾がおり、踊りを見て「お母さん、よくぞ生んでくださった」と声を漏らしたそうです。
そして1985年には、なんと宝塚音楽学校に首席で入学したという記録を持っています。
入団1年目で新人公演に初主演!?
星組や花組といったように組分けはされているものの、数多くのタカラジェンヌが在籍する宝塚歌劇団。そんな土俵に立っていたら、普通なら少しずつ下積みを積んで除々に名を挙げていくものですが、なんと入団1年目にして新人公演に初主演をしたという歴史を持っています。
このような記録を打ち出したタカラジェンヌは他におらず、これからも塗り替えられることはないだろうと言われているのです。
トップスター記録も最速!
宝塚所属当時の天海祐希が人気だった理由の1つとして、アドリブを入れる演技があります。リピーターのファンを考えてなのか、自分がそうしたいからなのかは定かではありませんが、台本には書かれていないいくつものアドリブを入れることによって会場を盛り上げていたそうです。
そのため、トップスターへの階段もすんなり上っていきました。最速記録7年で君臨し、ファンからの評価もそれだけ高かったことが伺えます。