お母さんが聖女クララをイメージしてつけた芸名の通り、聖女のイメージがぴったりな映美くららさん。
この「くらら」という名前から、かつて雪組トップ娘役として活躍した遥くららさんを連想するヅカファンも多いのではないでしょうか。
そんな人が多いので、あえて区別するために映美くららさんは「平成のくらら」の異名を持ちます。
その可憐なルックスと大女優の片鱗を併せ持つ「平成のくらら」がくららたる所以を、余すところなく紹介しちゃいましょう!
■可憐なルックスとは裏腹の舞台度胸に彩られたプロフィール
幼い頃から芸事を習っているタカラジェンヌはとても多いですが、映美くららさんも幼い頃からかなりの芸達者でした。
幼い頃からバレエを習っていた映美くららさんは、中学校の修学旅行で宝塚歌劇を観劇したことが宝塚歌劇団を目指したキッカケになったと語っています。
高校を卒業して2度目の挑戦で1997年に宝塚音楽学校に入学。
2年後の1999年に85期生として宝塚歌劇団に入団します。
入団時の成績は11番となかなかの上位で、その頃から早くも光るものがあったということでしょう。
「ノバ・ボサ・ノバ」で初舞台を踏み、その後星組に配属されて可憐さとダンスと歌がうまく、演技力もあることから新人公演では早くからヒロインを務めました。
2001年に月組に組替えして紫吹淳さんの相手役となり、同時にトップ娘役に就任というスピード昇格をしています。
初舞台から3年目の、まだ新人とも呼べる頃の映美くららさんが10年以上のキャリアを誇る紫吹淳さんの相手役になるということは並大抵なことではなく、可憐な姿とは裏腹に舞台度胸があるといわれているのは、こういうところにルーツがありそうです。
当時、他の組にいた娘役がトップとなることは珍しく、映美くららさんは久しぶりのケースとなりました。
紫吹淳さんの退団後は彩輝直さんの相手役となって数々の舞台を踏み、2004年「飛鳥夕映え/タカラヅカ絢爛II」の舞台を最後に宝塚歌劇団を退団しています。